昭和40年01月05日 夜の御理解
「この方は人が助かる事さえ出来れば。」と、教祖の神様は、どんな場合でも、ここのところに焦点をおいて、話を進め、又は事にあたっておられます。これは教祖の神様のご精神というものが、んなら、取次者に伝わり、次々とお取次の座にある、いわゆる、取次者もその精神で、おかげを頂かなければならんが、だけにとどまらずに、これはあの、信奉者一同がですね、その気にならなければいけないと思うですね。
「人が助かる事さえ出来れば。」という。私はこの「人が助かる事さえ出来れば」という精神がですね、教師も信者もそこのところに焦点を置いて参りましたならです、真心にならなければおられない、親切にまたは包容力というものも自ずと出来てくると。「人が助かる事さえ出来れば」。言うて聞かせても分からんから。また同時に「助かる事さえ出来れば」という私は見地で参りますならば。
積極的に働きかけが出来ると思うですね。またいつも自分をむなしゅうして、犠牲的な気持ちを持って事にあたられ、人に接することが出来ると思うですね。今日、総代会が、初の総代会がございましてから、いろいろ申し合わせ、年頭にあたっての、申し合せがございました。中に、まあ一通り聞かせて頂いたんですけれども、今年はどうでも、各地区、地区の信心の共励と、それから、信者の育成。
いわゆるその、信心がいよいよ実動的になってきたという感じですね。日頃頂いておる信心がいよいよ動きだした。だからその、実動的なその、信心の内容がです。どこまでも、「人が助かる事さえ出来れば」という精神のもとに、信心が、共励が、またはお広前建設というような事においてでもです。そこのところの精神を外さずに、私は、話が進められ、信心の共励がなされていくことが、ほんとの信心の、いわゆる実動体に突入するところの根本の精神じゃなからなきゃいけないという事です。ね。
ですから、どうぞ、例えば今晩の壮年部、ま、ここでいうならば指導層の方達ばっかりでございます。ね。その指導層の方達がです、例えばそういう精神をもってです、「人が助かる事さえ出来れば」という精神をもって、私は、その、事に、人に、あたっておいでられたらです、自ずと真心も、親切も、また抱擁性も、自ずと出来てくるのじゃないかというふうに思うのです。
どうぞ、おかげ頂かなきゃなりません。